つないだ手の先には

「やあレド君、よく来たね、いらっしゃい」
 とある日の昼下がり、レドが訪問するとすでにオルダム医師は日当たりのいい小さな前庭で待っていて、にっこりと彼を迎え入れた。
「こんにちは。お…お邪魔、します」
「大分言葉もマスターしたようだ。君は見た目のとおり、賢いね。
 重いものを、どうもありがとう。中の倉庫まで運んで欲しいんだ」
 『オルダムさんが届けて欲しいものがあるそうだよ』と、ジョーから配達の任務が来たのが午前中のことで、レドは大分重い木箱を抱えて町を横断してきたのだった。指定の時間通りに着けるか少々心配だったが、完全なるチェインバーの監視役からこのような仕事を頼まれるように昇格して嬉しかったし、数回目で少しずつ慣れて来たところだ。オルダムに従って背の低い玄関の戸口を通り、地下の倉庫に木箱を慎重に下ろして、レドはやっと埃っぽい汗をぬぐった。
「(さすがに…はぁっ…きついな)」
「”筋中乳酸値、緩やかに低下中。心拍数呼吸数、ともに生体の正常範囲内で推移、活動によっての異常値は現在認められない”」
「(わかっているチェインバー、肉体を駆使する労働に俺が慣れていないだけだ…今の生活で細かいモニタリングはあまり意味をなさない、異常値を長時間マークした時だけ注意してくれ)」
「”了解した”」
 レドが1階に戻ると、小さな居間のテーブルに氷を浮かべた大ぶりのグラスを2つ並べ、オルダムが椅子を示した。
「ご苦労様、レド君。冷たいものを用意したから、少し休んでいきなさい」
「いえ…でも」
 戸惑うレドに、オルダムは微笑んだ。
「折角働いてくれたのだから、お礼は受け取っておいて良いのだよ。
 …それに、今日は君にぜひ見せたいものもあってね」
「…アリガトウ、ございます」
 今日は発着サイクルの都合で午前中で積み下ろし作業は終わってしまったとのことなので、急いで戻る必要はない、と言われてきたのだったし、何より水滴のたっぷりついたグラスは今のレドには非常に魅力的だった。
 ちんまりと腰掛けてグラスをオルダムから受け取ると、レドはその良い香りのする飲み物をまず一口飲んだ。ひりついた喉に、何かのスパイスの効いた冷たい甘さが心地よい。止まらずごくごくとほとんど一気に飲んでしまって、それから、自分の行動にハッとして顔を恐る恐る上げた。
 壮年の医師は、ニコニコとレドのそんな様子を眺めていた。


「3時ちょうどにお客さんが来るのでね。君はここでまだくつろいで居なさい」
 しかし、と帰ろうとするレドにまだ半分以上残っている冷たい瓶を預けて、さっさとオルダムは隣の診察室への扉を閉めてしまった。
「(あまりにも図々しいと言うんじゃないか、これは…いいんだろうか)」
「”彼が良いと言えば問題ない、と判断される”」
「(そう、か)」
 こうしていろと言うからにはきっとオルダムの用事は短時間で済むのだろうし、何か自分に話があるのかもしれない。…こちらも教わりたい事は山のようにあることだし、言われたとおり待っていればよいのだろう。
 陽のさんさんと射し込む窓際に立つと、そこはかなり見晴らしのいい位置で、翠にきらきら輝く水面とそこから湧き上がる雲、そして紺碧の空には悠々と飛ぶ海鳥。
(「きれい」というと教えてもらったな…この感覚をあらわす言葉は。
 俺がここに来るまでは持った事のない感じ、まだ不思議だ)
 遠慮して少しだけ注いだグラスの中身を飲みながら、レドは満ち足りた気持ちでその景色を眺めていた。


「…っ、あ…」
「そのまま…腰を下ろしなさい」
「はっ…ふぁ、くぅぅ…っ」
 しばらくして、小さな声が隣室から漏れ聞こえてくるのにレドは気づいた。人の気配はしていたけれど、何か、尋常ではない気がする。しかし…。
(異常事態というわけでは、ないようだが)
 自分に危害が及ぶような緊迫感は全く感じられないので、すぐに扉を開けるのはためらわれた。
 よく見ると、木の扉には腰ほどの高さにそれほど小さくはない節穴が開いている。レドは床に膝をつき、そこからそっと様子を伺った。
 鮮やかな赤い服、そしてオルダムの白衣。その二つが彩りの乏しい部屋の中で際立って絡まりあい、レドの目に飛び込んできた。同時に耳のとらえるのは、ぞくりとする吐息と、そして声。
(…エイミー…?)
「オルダム…せん…せっ、先生…んぅ…」
「最近なかなか来ないから心配していたんだよ…特に、あの子が来てからはね」
「ん…色々あれからあって仕事の他も忙しかったから…です、あ、やっ、そんなに広げたら…恥ずかし…ぃ」
「しっかり、つながっている所を見てごらん…ほら、私の大きいのをこんな根元までくわえて。  ここもこんなに充血させて、つまんで欲しいんだろう?」
「あ、あっ、一緒にこすっちゃ…ひうぅっ!」
 椅子に座ったオルダムは、丁度レドのいる部屋のほうに向いてエイミーを膝に乗せ、その褐色にやけた体中をまさぐっている。胸をはだけ、太い腿で脚を広げられたエイミーは、耳や首筋をねっとりと舐められ、露出させた下腹をよじる度に、苦しそうな、それでいて熱を帯びた嗚咽を漏らす。そして、ちゅくっ、じゅぶっ、と二人が動くたびに粘性の水音が絶えず響いてくる。
 レドの喉が、ごくり、と鳴った。全ての音が、直接ぞりっと腰髄を舐めてくるようで、そして耳の中では自分の鼓動がどくどくと響く。…何だ、これは、この状況は。
「”レド少尉、200秒前よりモニタリング数値の急変を確認、正常値内ではあるが貴官の現在状況を報告されたし。緊急事態であれば要請を…”」
 チェインバーからの通信で、レドははっとして扉から離れ、声をひそめた。
「(チェインバー、音声は聞こえているな?
 俺自身の緊急事態ではないようだが、目の前で何が起きているのかがわからない…
 この民族の慣例ととっていいのか?)」
「”了解、現在検索中”」
 しばしチェインバーからの声が途切れると、そのかわりに隣室の音がやたらに響いてくる。
「初めてのころはまだ胸も小さかったが…こんなにたわわな、いやらしい体つきになってしまったねぇ。
 この間の水着姿には、やられた男も随分多いのだろうな。それをこんなに好きにできるのは…果たして今は私一人だけではないのかな?正直に言ってごらん」
「ふぁんっ、そんな…事っ、何もしてない…です…
 先生しか…したことな…やっ、ごりごりして…ひぁぁぅっ!」
「相変わらず、かわいいことだ」
 何をしているのかは分からないけれど、見てはいけない、聞いてはいけない、と警報が頭の中に鳴り響いている。
「”音声からの検索結果。おそらく、生殖行動を行っているものと推察される”」
「(生殖?!エイミーが、オルダム医師の子をなすためなのか?二人の関係性はそういうものではないと俺は思うんだが…)」
「”関係性その他からの推測、不明。
 ただし、検索結果によれば、この民族に限らず、生殖行動を生殖目的と無関係に行う事例もあるとのこと”」
「(余計わからない!)」
「”貴官の生命活動に支障がない状況であれば、この社会の中での貴官の立場に於いては、干渉しないほうが賢明と考えられる”」
「(………了解した。確かに俺自身には特に何も起きそうにはないので、指示通りこの部屋での待機を続行する。
 チェインバー、この状況に干渉しないほうが賢明ということであれば、お前もあまり情報を詳しくは解析しないでおいてくれ。ただし記録としては通常と同じに残せ、万一何かがある可能性を払拭はできない)」
「”了解した”」
 そしてチェインバーの声が聞こえなくなると、レドは最初と同じようにテーブルにつき、もうぬるまってやたらに甘くなった飲み物をあおった。上品な赤い色のテーブルクロスに、瓶とコップからの水滴がどす黒い血の様なしみを作っている。自分の心音がまだ耳の中で大きな音を立てているせいなのか、隣室の音は心なしか聞こえなくなったようで、小さな話し声らしきものがかすかにとらえられるだけだ。
 自分は、ここで言われたように待っていればいい。
 そうしなければ、何かが壊れるかもしれない。ここの人間たちは自分たちの慣例でうまく社会を回していて、異分子の自分はそこに身を寄せている以上、口出しをしてはいけない。それは、今までこの星で生活してきたうえで少しは理解したつもりである。
 …けれども、今起きている事では、自分でも未知の感覚野の部分が刺激されているような気がする。今までのような「異文化での事象の理解」ということの他に、自らの感情の問題が急に提起された。そしてそれは、これまでのレド自身にはほとんど無かったことだ。
(これも多分…とまどい、いや、狼狽という言葉の方が近いのだろうか)
 戦闘中ではそれらにとらわれる事は死を意味する、だから縁のなかった感情。この星に来てからは何度も感じたと今では認識しているが、今日の自分のものは、似ているがまた新たなもので。
 何しろ、生体機能に感情からだけでこれだけの起伏が起きることなど、チェインバーでなくてもレド自身も尋常ではないと思うのだから…。そして、それは何故なのだろう。
「エイミー、今日はずっとこちらにお客さんが来ていてね。ずっとお待たせしていたのだけれど」
 明瞭に耳に入ってきたオルダムの言葉に、考え込んでいたレドはハッと顔を上げた。心臓がひときわ、ドクンと跳ねた。
「もう暗くなっているから、帰りは二人で一緒に帰りなさい」
「え…どういうことですか?いえ、一人で帰れます、から…」
「遠慮せずに。君の良く知っている人だよ」
 きいっ、と扉が開く。ノブを握ってにやりと笑う医師と、そして、その後ろには、真っ青になって目を見開いたエイミー。
「きちんとお姫様を送ってあげなさい、レド君」


「…」
「…」
 日が沈んだばかりの西の空はまだ朱みを帯びて、東から夜のとばりが下りてくる。高い位置に宵の明星がひときわ輝いていた。
「送ってくれてどうもありがとう、レド」
 家の前に着くと、ここまでの重い沈黙などなかったかのように、エイミーはいつもの明るい笑顔をレドに向けた。
「レドには遠まわりになっちゃうのにごめんね。レドも帰り、気をつけて」
「…わからない」
 まっすぐに見つめるレドの視線に、エイミーの笑顔はこわばった。
「な、何が…?今日、確かに私もよくわからなかったけど…。
 …うん、巻き込んじゃったみたいになって、ごめん、それは、ほんとに」
「なんでも…教えて、もらえる、は、思わない。ただ」
 真剣な紫色の瞳は、その静かなたどたどしい言葉よりもじかに、彼の心をエイミーに伝えた。
「あれを、エイミーが、嫌か、または、そうではないのか。
それが、俺には、わからない、から」
「…うん。そうだよね…」
「俺、わからないカン…感情、ばかり、だから。
 …エイミー?」
 エイミーは急にレドの腕を掴み、玄関から遠ざかって路地を曲がる。居住ブロックの際の、海を見下ろす狭い一角に出ると、面食らっているレドに、エイミーは顔を見せずに小声で言った。
「ごめんね、あそこだとべベルに聞かれるかもしれないから…。
 …嫌なわけじゃ、ない。
 これまでずっとそうしてきたし、だから、大丈夫、だよ」
 そう言って、エイミーは赤錆だらけの手すりに寄りかかり、海を見つめた。いつもの快活さとは遠い彼女の表情に、レドは戸惑いつつ、隣で同じ姿勢をとった。
「オルダム先生が治療してくれなければ、べベルは生きられない。
 そして私は、そのお金が十分に出せるほどにはまだ働けない。これからも、どうかはわからない。
 だからあれが、私が出した答えなの。必要なことなの」
 エイミーは、遠くを見つめたまま、ぽつり、ぽつりと話す。
「…」
 エイミーの表情が見えないのと、情報の解析を必要最低限に指示したと同時に翻訳も同様になったので、「嫌ではない」という言葉はわかるのに、それ以上のニュアンスがわからない…歯噛みしながら、レドは結局ため息をつくしかなかった。
 その様子を見て、エイミーが視線を海面からレドに移し、表情を緩めてやっと、ほほえんだ。
「レドは、優しいね」
「…なぜ?何も、できない、していない、のに」
「でもこうして、私が困っているんじゃないかって、何かしてくれようとしてるじゃない。
 それが、優しいっていう事だよ」
「…」
 優しい。それは、エイミーをはじめこの船団のみなが自分にしてくれたように、実質的に相手を助けることだと思っていたが。まず自分がこう思っていることをろくに伝えられない、聞けもしないというだけでももどかしいのに、その上今はそういう拙い言葉を出す雰囲気ではないということくらいは今のレドにもわかった。また、ため息が一つこぼれた。
 …ぎゅっ。
引っ張られる感覚に目をやると、パイロットスーツの腰に結んだ袖の端を、エイミーが握っていた。視線はまた、海面にやったまま。
「絶対、見られたくなかった、って思ってたよ…さっきまでは。
 でも、今は…少なくとも、この事を話せる人ができたから…ずっと、ずっと、誰にも言うことも相談も出来なくて。
 ああいう事をすることもだけど、誰にも言えないその事が辛かったの、だから」
 ぱた、ぱたとエイミーの胸に雫が落ちる。
「今レドとこうしていられて、話が出来て、嬉しいの。おかしいだろうし、簡単な言葉にもできなくて、レドには訳がわからないかもしれないけど。
 でも、軽蔑してるよね…ごめんね…こんな事言ってほんとにごめんね」
 震えるその手が、あたたかくそっと包まれた。エイミーの手よりも少し大きい、柔らかい手。
「…レド」
「エイミーが、”嬉しい”と言ったのは、わかった。
 俺は、今はそれならば、いい…何も、それより、以上は」
「…うん…」
 まだ残る町の喧騒は遥か遠くに聞こえ、あとは全てを吸い込むような大きな空と、そして何か懐かしい波の音。
 不思議な心地よい静けさ。そして、つないだ手の先には、温かい人が居る。
 それだけで、今は。


Fin.

5話まで視聴してから書いたもの。
1話で「生殖の自由が与えられる云々」と出てきた時点で、あ、最初からこういう今の私たちの観念と全く違う設定にするってすごいないいな、と思ってました。
今回エイミーをいじめてしまった、かわいいのでつい。レドは色々学んでください、すごく成長過程がおいしいと思います。
(2013/05)